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蕎麦を極める(3日目)

 仕事がバタバタしているし、松茸山には行かなきゃいけないし、大好物のカキフライも食べに行かなければいけない。はたまた新進気鋭の和食ダイニングで会合があるし、無性に焼鳥が食べたくなって銀座にも行ってしまったし、そんなことで、ネタは溜まる一方なのだが、記事を書くヒマがない。ブログ更新は、非常にスローペースな展開を余儀なくされているが、ネタは溜まる一方なのである。

 大呂庵は、朝の食事もきらめきの白米飯が旨い。
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何のことはない、ひじきの煮つけや、あえ物、野菜の炊き合わせなどであるが、朝早くから宿の方々のご尽力により、作りたての料理を食べさせて貰えた。こういう何でもない普通のおかずこそ、出しを取ってきちんと作られていないと困る。作り置きしたものをレンジで温めただけとか、業務用の総菜なんかが出てくると、それこそ興ざめだ。その点、この宿はとても良かった。

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 呼び鈴の亀。頭の部運を軽く叩くと、ベルが鳴り、用事を聞きに来てくれる。ご飯のお代わりが欲しいとか、ビールの追加を頼む時などに使う。宿の備品である。kazは、不届きにもこの亀をくすねようとして、顰蹙をかう。

 この日は、190km離れた信州の小布施まで一気に行く予定だ。朝食後、そそくさと荷造りをして、チェックアウトの大分前に宿を発った。女中さんがひとり駐車場まで見送ってくれた。車を出すときに深々と頭を下げて、その姿がとても印象に残っている。

 さて、高速を飛ばし、途中のトイレ休憩もそこそこに、我々が向かったのは、信州小布施の“せきざわ”という蕎麦屋である。この蕎麦屋に行くことを事の他楽しみにしていたのは、karである。なにしろ、蕎麦通の間では知れ渡ったせきざわは、自前の蕎麦畑の蕎麦粉で蕎麦を打っており、蕎麦もつゆも大変なこだわりである。
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 多少道に迷ったものの11時少し前には到着した。しかし、蕎麦屋に隣接した専用駐車場は、後2台の空きスペースしかない。運良く、そこに駐車できた。開店は11時30分だ。それなのに既に3組ほど既に待っている。我々もそれにい互い並んで待っていると、その後も続々と客が集まってくる。日曜日と言うこともあるのだろうが、車のナンバーは殆ど他県ばかりだ。
 実は、まさかここまで人が来ているとは思わなかった。日曜日の昼は、予約をい受け付けないが、開店と同時なら大丈夫だろうと思っていた。しかし、早めに到着したのが功を奏した。開店と同時では、蕎麦が売り切れ御免となった可能性が大きい。
 とにかく、kamも私も2年ぶり、他の人ははじめてだが、なんとか売り切れる前に、せきざわの蕎麦にありつけた。わざわざここまでやって来て、残念でしたでは、目も当てられない。プランナーとしては、ホッと胸をなでおろした。

 11時30分きっかりに、女将が店を開けた。6人全員が座れるテーブルに案内された。早速、メニューを見て、茜という3色蕎麦に決めた。せいろ、胡麻切り蕎麦、鴨南蛮のセットだ。それに「むらくも」というデザートも頼んだ。以前来た時に、デザートが滅法美味しかったことを思い出したのだ。私が前評判を聴かせていたので、糖尿病のspo以外が全員デザートをリクエストした。
 そうしている間にも、表に並ぶ客の行列は長くなり、女将は整理券を配り始めた。

 さて、いよいよ3色の1色目、せいろ。とにかく香りが良い。蕎麦特有の冷たい心地よい口当たり。蕎麦が纏う水分がちょうどバランスよく、気持ちよく喉を通る。だがしかし、このつゆの美味しさは何なのだ。元来、蕎麦つゆは、濃いと塩辛くなると思い込んでいたが、違う。どことなくトロンとした舌触りの蕎麦つゆは、濃厚な出しの風味はあるものの、飲みほしても喉に残る辛みが全くないのだ。前回来た時も驚いたが、今回も改めて驚愕した。酒に例えると、無ろ過生原酒のような感じだった。蕎麦もさることながら、これで飲む蕎麦湯まで気持ちは巡り、薬味の葱を少しだけ残した。
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 2色目は、胡麻切り蕎麦。これも傑作だ。と言うのは、胡麻の香りがするのに、蕎麦の香りを殺していないのである。1色目のせいろより、角が立ってきりりとした蕎麦は、ほのかな苦みが感じられ、完成度が高い逸品だ。Marは、この胡麻切り蕎麦が、とても気に入ったようで、唸っていた。満腹中枢が異常に発達しているせいか、何を食べてもすぐ満腹になるのに蕎麦だけは別腹のようである。最近、そのことを発見し、本人も自信がついてきたようだ。
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 その次の3色目は、鴨南蛮である。薄醤油仕立てのつゆに泳ぐ蕎麦は、上品な味わいだ。温蕎麦でも全く崩れることなく、一本一本の噛み応えがある。またまた、温つゆも非常に旨い。おまけに鴨は靑首なのか、濃厚なコクがあった。肉はしっかりしているのに、硬くない。鴨とくれば葱だが、焼きネギの香ばしさがアクセントとなり、心憎いまでに全体のバランスが整った蕎麦であった。この蕎麦は、何杯でもいけると思った。
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 最後は、デザートのむらくも。蕎麦粉3割の栗ようかんだ。最初、女将のペースで焦ってしまい、メニューにデザートが見つけられず、ないかと思ったが、勇気を出して聴いたところ、柱の張り紙を指して「今日は、むらくもです。」と、言われた。後で落ち着いて確認するとメニューのあちこちに書かれているのを目ざとくYosが発見。一同大笑いした。
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 「むらくもでございます。最初の半分は、そのまま召しあがって、残りにこちらのブランデーを垂らして召しあがって下さい。」へえ~、ブランデーねぇ。しかし、これには参った。しっとりした栗羊羹には、口に運ぶとふわりと分解してしまうが、確かに一瞬、蕎麦掻の舌触りが感じられ、抑えた甘さが心地よい。しかし、一旦ブランデーを数滴垂らすと、全く違う味わいになる。ブランデーの風味とマッチングしたむらくもは、まるで羊羹とは思えなかった。和菓子の粋を超え、マロングラッセのような香りに包まれる。そして甘さが上品に引き立つのだ。これでは、そこらへんの和菓子屋はお手上げだろう。近所にあったら、週に一度は買いに行くのにと思った。
 やはり、せきざわは人気があるわけだと思いながら、会計を済ませて外に出ると、売り切れ御免の看板が掲げられていた。


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 蕎麦屋せきざわを味わい、一軒道の駅に立ち寄ってから、帰路に着いた。多少渋滞もあったものの思ったほどではなかった。寄居の手前あたりで、本格的に雨が降ってきた。これが、翌日から天気を狂わせ週末には、季節外れの台風の騒ぎになった。実は、最初の計画では、この台風のさ中の予定になっていた。たまたま宿が空いていなかったので、一週前に繰り上げたのだ。その結果、またとない侯天気に恵まれた。天にも感謝である。
 車2台に3人ずつ乗車するので、2~3度SAに立ち寄る。立ち寄るSAは車内の無線器で決めた。最後のSA休憩のときには、日も暮れかかっていた。これが、この旅程で全員が顔を合わる最後であった。みんな、とても楽しかったと言ってくれた。なんだか東京へ戻るのが名残惜しい。
 2泊3日なんてあっという間だった。しかし、仕事を持っていれば、旅行と言ってもこの位の日程が限度だろう。日本人も早く欧米並みにバカンスを楽しめる時代が来ればよいのにとつくづく思った。

 結構、盛りだくさんで忙しない旅になってしまったかもしれないが、天気に恵まれたのは何よりだった。どうなるか分からないけれど、来年も酒と食をテーマに楽しくて、旨い旅ができたらいいなと思う。

おわり
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by oishiimogumogu | 2010-11-19 01:49 |

豪農の宿に泊まる(2日目-その6)


 蕎麦を食べ終わると、北方文化博物館を見学した。この博物館は、伊藤家七代目当主伊藤文吉氏がGHQによる農地解放後、財団法人を創設し自宅を博物館として、一般に見学できるようにしたものだ。
 豪農七代の歴史が詰まったこの建物は、60室からなる巨大な木造建築である。いろいろな逸話を聞いたが、印象的だったのは、土縁の天井に使われている、大杉(約30m)を切りだして運搬する時、家3軒に立ち退いてもらったという話である。とても、平成のこの世ではあり得ない事のように思う。現在でも八代目が、この館の一部に住まわれている。

 さて、我々が泊まった大呂庵は博物館の敷地内で、もとは伊藤家の身うちの別荘だった建物である。
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 静かで3組までしか泊まれない。客間もさることながら、パブリックスペースがとてもよく、一人旅で、読みためた本などを読むのにはもってこいの宿であった。
 一同は、テラスやら広間のソファやら、銘々好きな場所でくつろいだり、風呂に入ったりして、夕食の時間を迎える。大呂庵の料理は、決して派手ではないが、心づくしとでも言おうか、新潟の郷土料理であるのっぺ汁などもでる。
 特筆すべきは、羽釜で炊いた米の飯だ。田圃と言っても阿賀野川の氾濫が繰り返され、飢饉が続くことも多かった。新潟平野全体が、最初から良い水田に恵まれていたわけではない。伊藤家のような大地主が力を尽くして、治水工事や土壌改良などの事業をして、漸く良い米が採れるようになったのだ。そんなことを考えながら食べるご飯は、水晶のように光っていた。料理はみな、伊藤家にいらしたお客様をもてなすつもりで造られる。全て八代目の采配なのだ。

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 ここはそもそも「亀田のあられ、おせんべい」で有名な亀田製菓の本拠地、亀田がすぐ近くにある。そんな絵にかいたような米処の真ん中で、何故かお造りに大トロが出てきて、それがまた旨かった。野菜の炊き合わせや茶碗蒸しなどをそれぞれが持ち込んだぐい飲みで酒を酌み交わしながら味わった。今夜の酒もまた持ち込み酒である。こんな我儘を聞いてくれるのも、定宿故のことだ。ありがたや。
つづく
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by oishiimogumogu | 2010-11-15 22:05 |

旧家を訪ねる(2日目-その5)

 誰も信じないかもしれないが、幼少の砌は、あまり米を食べる子供ではなかった。と、いうより偏食で、食が細かった。その為か体質かは分からないが、ガリガリに痩せた子供だった。
 心配した周りの大人たちは、なんとか少しでも食べさせようと気を遣うので、それがプレッシャーとなり、噛んでいるモノがなかなか喉を通らない。飲み込めないのだ。だから、チューインガムのようにいつまでもいつまでも口の中に食べ物が充満していて、次のものを口に運べない。
 そのうちに疲れてしまうのだが、大人が決めたゴールに到達するまで、食事をやめさせて貰えない。心身共に限界が来て、キレて大泣きする。それでも、普通の同じ年の子供の1/3程しか食べられなかった。
 毎回、このようだったから、私は食事の時間が何より苦痛だった。幼稚園の弁当も他の子供の半分もない量を食べられず、毎日居残りだった。私は、食べずにいられるならどんなに良いだろうと、子供心に常々思ったものだった。

 そう云う時期も段々と遠ざかり、小学校も高学年になったころから、それ程食べることが苦痛でなくなってきてはいた。それでも胃に重いものは、やはり食べ辛かった。ご飯かパンかとなれば、当然食べごこちが軽いパンを選んでいたので、家じゅうで私一人が、朝食にパンを食べて登校していた。当時、給食は殆どパンであったし、夕飯時はおかずだけ食べてお仕舞にすることが多かった。親をはじめ、周りの大人たちも、あれほど食が細かったのに、ここまで食べられるようになったという実感があるから、私の食べ方や好き嫌いも含めて、あまりとやかく言わなかった。
 そう云う訳で、私は10代も後半になるまで、米の飯を殆ど食べずに過ごしてきた。たまに食べても、それほど美味しいと思ったことはない。母の実家は、信州の米処でそこからいつも米を送ってもらっていたから、米屋の標準米と比べたら、かなりいい米をたべていたにもかかわらずにだ。
 と、まあ、ここまでは現在の食欲の権化である私しか知らない人には、「造ってる」としか思われない半生である。

 瑞穂の国、日本。米は日本人の宝である。それは、今回の旅でも、八海山で米から造られる日本酒の醸造工程を見て、長岡のTさん宅を訪ね、米作りに人生を賭けるオヤジの話を聞き、旅館M屋の朝食で、旨い米の握り飯を食べ、弥彦パノラマタワーの上から、新潟平野は田圃の平野だと知り、日本人の宝、米を強く実感した。
 かつて、米を殆ど食べずに育った私でさえ、祖先の遺伝子に導かれるようにして、今ではすっかりご飯党になってしまった。そのきっかけとなる米の味を教えてくれたのが、まぎれもなくこの新潟である。
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 あれは、20代の前半、日本酒を追い求めていた頃である。会社の休みを利用して青春18きっぷを片手に、各地の酒蔵を訪ね歩いていた。
 あるとき、柏崎という駅で降りて、宿を探した。予算制限のある私に観光案内所が予約してくれた旅館は、駅からすぐ近くにあった。鷲尾旅館・・・確かそんな名前の宿だった。旅館とは言っても、泊まり客の殆どが、土木工事作業の為に遠方から来ている労働者だった。滞在型の安宿である。食事も大して期待などしていない。どんなおかずが出たのかも、今ではすかっり忘れてしまった。
 しかし、ここで食べた米の飯が、今まで眠っていた私の日本人DNAを呼び覚ましたのだ。この米の味は今でも覚えている。ふんわりあつあつで、舌触りはなめらか、ほのかな甘みと、ミルクのようなコクがあった。香りは抜群で、湯気の中で昼寝が出来そうなくらいだ。ご飯のおかずにご飯が食べたい!そんな風に思った。
 何か秘訣があるに違いない。そう思って尋ねると、女将さん曰く、「別に普通のお米を普通に炊いているだけ。ガス釜だし、そうねぇ、大人数のご飯だから、沢山炊くことくらい?普通の家と違うところは・・・」と、米の美味しさにのけぞる私を逆に不思議そうに見ていた。
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 前置きが、長くなったが、その米の総元締めとも言える旧家が本日の宿である。ここは江戸時代から栄えた豪農の屋敷である。当時全国に1000町歩以上の田畑を持つ豪農は、9件あったとされているが、驚くことなかれ、そのうち5件が新潟県内にあった。その中でも最も大きい伊藤家の敷地立つ大呂庵に今夜は厄介になるのだ。
 伊藤家は最盛期1370町歩(1370ヘクタール)の田畑を所有し、小作人2800人を召しかかえていたという。石高は6万表に達している。数字だけ見ても見当もつかないが、とにかく莫大な米が集められていたのだ。当然、宿のプライドにかけて、ご飯がうまいこと請け合いなのである

 米のことになると、つい力が入って前置きが長くなってしまった。続きは、また明日書かせていただくことにして、そろそろ仕事に戻ります。(ねむっ)
つづく
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by oishiimogumogu | 2010-11-14 23:42 |

天手古舞の十割蕎麦(2日目-その4)


 ワイナリーを後にした一行は、次の目的地である蕎麦屋の“天手古舞”に向かう。この蕎麦屋は、現在は、北方文化博物館の中にあるが、昨年、津川の商店街から移転してきた。観光施設のなかの食堂としての役割も果たしてはいるが、山都の農家から直接蕎麦を仕入れている結構本格的な蕎麦屋なのである。
 旅に出る前の週に電話で予約を入れたとき、「丁度新蕎麦になりまして、昨日はお得意様を何名かご招待いたしたのですが、みなさん出来栄えはよろしいとおっしゃっていただけました。ですから、今年の蕎麦もいいようです。」と、主人が話してくれた。旅のメンバーの中には、蕎麦のプロもいるので、蕎麦屋の選定は額に汗である。
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 毎日現定数しか打たない十割蕎麦を6人前確保してもらった。
 
 一行は到着するや否や、蕎麦掻の天ぷら付きセットを頼む。Marと私は蒸篭だけにした。夕食の為に胃袋のスペースを少し空けておきたかったのだ。ふと、ビールでもとの声が上がった。「ぢゃ、ビール三本ね。」と、頼んだ。「コップはいくつお持ちしますか?」「6個で。」Kamが「ああ、そうか今日はもう運転しなくてもいいんだ。ぢゃ心おきなく!」と、つぶやいた。本当に運転御苦労さまだ。
 時代劇に出てくるお約束の民芸調店内で、其々が思い思いに蕎麦をすすった。蕎麦は透き通るようで、粗挽きな感じ。とても丁寧に打ってあり、角も立っていた。私の感想としては十割というのにかなりモチモチっとした食感が印象的であった。新蕎麦の香りもちゃんとあったが、十割といいつつほんの少し米粉が入っている可能性が推測できる。今度、機会があったら店主に聞いてみよう。
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 Kamもまあまあ気に入ってくれたようで蕎麦屋2日目もそこそこうまくいった。
 
 さて、蕎麦の後は、博物館見学である。

つづく
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by oishiimogumogu | 2010-11-13 21:19 |

日本初のヨーロッパ種のみの葡萄のワイナリー(2日目-その3)


 私は、日本酒を造っている酒蔵をいくつか訪ねたことはあるけれど、ワイナリーの醸造所や蔵などを実際に見るのは初めてだった。
 実は、20代後半に給料のほとんどをワインにつぎ込んでいた時期(20代前半は日本酒につぎ込んでいた。私の20代は酒につぎ込む人生であった)もある。ヘンな話だが、よいワインには、そこに引きずり込まれるような舌触りやアロマが存在し時間や温度によって変化する。この変化を追いかけてもう少し、あともう一杯と飲み進め、いつしか深い眠りに落ちる。私はそこに心を囚われていたのだ。
 そんな訳だから、私の将来の夢は、ブルゴーニュとトスカーナのワイナリー&シャトー巡りなのである。どうしても、フランスとイタリアは外せない。まあ、余裕があれば、カリフォルニアやオーストラリアにも行けるといいなどと考えていた。それだけに、この日本酒の聖地のような新潟で葡萄畑やワインの醸造所や蔵など本格的な設備を備えたワイナリーと出会えることが、いささか不思議ではあった。
 見学するにあたって、案内役を引き受けていただいた株式会社欧州ぶどう栽培研究所の今井常務は、葡萄畑や醸造設備などきめ細かく説明してくれたが、随所に「俺はワインづくりを愛している」と言わんばかりの想いが伝わってくる。またひとつこの旅で良い出会いであった。

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 美しい葡萄畑。ここには、フランスやドイツなどのヨーロッパの品種の葡萄の木しかない。日本の葡萄は食用なので一本の木を大きくして枝を棚に釣る。木と木の間は離れているがワイン用の葡萄は間隔が狭く、根は横に貼れず地中深くまで伸びる。その結果、雨が少なくても地中深くの水を補給することが出来る。
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 葡萄の実は、食べてみると甘い。巨峰やデラウェアなどと比べて、水分こそ少ないがしっかりした甘みがあった。葡萄の実を囲う金網は、猫とカラス対策。
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醸造タンクの前で説明を受ける面々。日本で日本酒を造るなら設備などは国内で賄えるのだろうが、ワイン造りの設備は殆どが輸入せざるを得ない。それを考えても、少々気が遠くなる。
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 ワイン蔵の中。醸造後のワインはこのオーク樽で香り付けされる。この樽も輸入。毎年新樽を仕入れているが、この香り付けに使えるのは、3年だという。樽は、同じオークであっても、生産者や地域によって、かなり違うアロマを発する。新樽とワインに関する新しい知識だ。
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 ワイナリーの地下にあるワイン貯蔵庫。写真右の通路は、100m弱もある。地上の施設だけ見ていたら、地下がこのようになっているなんて、思いもよらない。ここには7万本のストックが出来るとのこと。将来は酒齢の長いビンテージワインが並ぶ可能性もある。
つきあたりでは、シャンパンの生産もしていた。

 地上の緑溢れる敷地の中の醸造施設やレストランと地下に広がる酒蔵で構成されるワイナリーは、小さいながらもヨーロッパのワイナリーを彷彿させるものだった。もともと日本のワイン造りは、食用で出荷できなかった葡萄の救済措置みたいなところがあり、ヨーロッパのワインと比べたらどうしても水で薄めたような感じが否めなかったし、必要以上に甘かったりした。
 しかし、見学の最後に試飲させてもらったワインは、どれも本格的な酸味やフルーティな軽さ、またはタンニンの渋みなどテイストは本格的な仕上がりだった。ワイン造りは年月がモノを言う部分が大きい。まだ、創業して17年ということだが、毎年美味しさが蓄積されたワインが造られていくことだろう。楽しみである。
 見学後、ワイナリーのもう一つの名物のジェラートを食べ、大変満足な一行は次の目的地である蕎麦屋に向かった。

つづく
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by oishiimogumogu | 2010-11-12 16:40 |

新しいカメラ~旅日記の間の骨休め~

 仕事が結構沢山あって、毎日終わらせる度にくたくたな日が続いたので、このブログも続きを書かなければと思いつつ、日述べの連続という始末。
 それに、更新に二の足を踏むのは、薄暗いワイン蔵での撮影が、案の定うまくいかなかった為、ロクな写真が撮れなかった。写真の出来不出来で、記事作成の意欲が上下するのである。他のブロガーさん達も写真がうまくいっているブログは羨ましく思う。
 
 私のカメラは、景色を撮ったりするのにはとてもよいカメラなのだが、どうも料理のマクロ撮影や一定以下の明るさではフラッシュに頼るしかないようだ。
 確かに、ウデが悪いのは認める。
 だけど、カメラの機能についてや使い方は理解しているつもりなのだ。水中撮影も出来る凄いカメラであるばかりに、少々使い勝手とレンズ機能に難があるのは否めない・・・気がする。
 そんなことを前々から悶々と思っていたのだが、ついに安もののデジカメの3代目をゲットしてしまった。三年前に買った2代目とはやっぱり使いやすさがダントツに違う。暗くても比較的キレイに移るし、タッチパネルで操作性が抜群によくなった。
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 これでなんとか少しでも見やすい写真が撮れると良いのだが・・・
 
 と、云う訳で明日からまた旅行記の続きを書くとしよう。
 
 



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by oishiimogumogu | 2010-11-10 22:51 | Photograph

日本初のヨーロッパ種のみの葡萄のワイナリー(2日目-その2)

 旅の2日目は、朝から快晴で海も空も青く輝いていた。一夜の宿に別れを告げ、一行が向かったのは弥彦山パノラマタワーである。
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 このタワーは、昭和天皇・皇后も見学したらしい。写真が飾ってあった。駐車場に車を止め、我々はさっそくチケットを買い乗り場に急いだ。円形の展望室は外側が全面窓になっていてる。スタートする前は、コンクリートの壁に囲まれていて、この窓からはその壁に描いてあるペンキの絵しか見えない。空いているので、一席ごとに空けて悠々と座る。何が始まるのかよく知らないMarがぽつりと言った。「この席はB面だな。」私は、すかさず「すぐにA面になるから。」と、答えておいた。
 パノラマタワーは、この円形の部屋がゆくっり水平方向に回転しながら、上昇してゆく仕組みになっている。目的は、弥彦山の向こうに見える新潟平野の景色を見るためだ。
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 出発のベルが鳴り、パノラマ展望室は、ゆっくりと回転しながら上昇を始め、ピーク間近に壮大な新潟平野の景色を見せてくれた。新米を食べたわけだから、とっくに稲刈りは終わっている。刈り取られて坊主になった田圃が、面白いように何処までも広がっている。街も学校も鉄道も何もかもが、広大な田圃の中に点在しているのだ。この景色を見ていると、米処にやって来たのだと云う実感がひしひしと湧いてくる。
 みんなは、その景色に感激してシャッターを切っているのに一人だけ無言の男がいた。Kamである。彼は高所恐怖症気味ということで、密かに足が震えていたらしい。Marは「高い所がダメでも、あの景色は見ないと損だ!」と、慰めていた。
 平野の反対側には、この時期にしては珍しく穏やかな日本海が横たわっている。
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 弥彦パノラマタワーを後にした一行は、一路カーブドッチワイナリーに向かう。カーブドッチという名前は、オーナーの落希一郎氏の名字を取って、カーブ・ド・オチ(フランス語でオチの蔵と言う意味)から来ている。甲州ワイン(山梨)や池田町(北海道)など、国産ワインを作っている地域は多々あれど、新潟でというのは珍しい。落氏は、西ドイツのワイン学校で本格的にワイン造りを学び、日本に戻って北海道と長野県で葡萄畑とワイン造りの事業に従事したあと、新潟市巻町のこの土地に白羽の矢を立て、自らのワイナリーをスタートさせたのだ。1992年のことである。
 
 現在では、ワイン醸造所の他にワインショップ、レストラン、ソーセージ工房、多目的ホール、温泉スパ、ホテルもあり、泊まってスパでリラックスして、ゆっくりワインと食事が楽しめるのだ。近年には、隣にフェルミエというワイナリーも出来た。こういうワイナリーが増えて行けば、落氏が理想と考えるカリフォルニアのナパ・ワインリゾートのように、滞在型のワインライフが楽しめるようになるかもしれない。
 このワイナリーの大きな特徴は、日本に多数存在する国産食用葡萄ではなくヨーロッパから葡萄の苗木を輸入して、この土地の風土・気候に合う品種を探し出し、ワイン造りをしていることだ。シャルドネ、バッカス、カルベネ・ソーヴィニョン、ピノ・ノアールなどフランスワインの原料葡萄で造ったワインを味わうことができるのだ。ヨーロッパから来た葡萄の木のワインはこの巻町の地で、はたしてどのような味なのか、興味は尽きない。
 カーブドッチに到着すると、常務の今井卓氏に案内してもらい、いよいよワイナリー見学となる。
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つづく
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by oishiimogumogu | 2010-11-03 00:00 |


酒・食・器そして旅のたわごと・・・


by oishiimogumogu

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