なんだか良く分からなくなるほど食べる旅⑤(動画つき)

 久々にバンドの練習会でスタジオへ。事情があって、参加できないメンバーが一人いるから、何となく本調子ではないのだけど、なかなかよい雰囲気だったし、楽しかった。
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 私はキーボード。もっともっと練習しなけりゃなと思いつつ、なかなか出来ない。特に年末になると、気分的に余裕がなくなる。それに加え、短い間だけど、来月後半から資格取得のための講習に出なければならず、またもやバタバタしそうだ・・・。考えても仕方がない。とにかく一つづつクリアするしかないのだ。
 練習会が終わり、近場の小さなスペインバルへ。練習に来られなかったメンバーも合流してきて久々に4人揃った。食べるのも好き、呑むのも好き、だから話も弾む。でも空けたシャンパンが4本・・・よく呑む人達だ。

 唐津の旅は「まだ終わらないの?」と、云う声にお応え出来ず、もう少し続いてしまうのだ。

 さて開花堂を後にした私達は、唐津城を見ながら宿に向かって歩いていた。
 「東京の大学とかに行っていて、おくんちの時に帰省して、山を曳くっていうのいいよなぁ・・・」舞鶴橋にさしかかるとき、hachiyyamateiさんがそんな事を言った。なるほど世の中にはそんな人生もあるのだ。
 私などは、実家はあっても先祖代々そこに居る訳ではないから、故郷と呼ぶには至らない。また、自分自身も留まることをあまり好まず、できれば常に流れて居たい。それは多分、幼い頃からの持ち合わせている性分であって、友達が誰も知らないところを見つけ出すのが好きだった。私にとっての旅は、子供の頃からの興味の延長線上にあるのだ。何気ないhachiyamateiさんの言葉に、走馬燈のように淡い記憶が甦る。
 それにしても、体調のすぐれない先生が気掛った。

 洋々閣に戻って夕食までの間、少し自由な時間ができた。そこでひと風呂浴びて、館内を見て回った。
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 歴史とか、格式とか、そう云うことの前に、静かに心落ち着く空間があった。例えば廊下の隅のように、陽の光が届かない場所にさりげなく燈されている柔らかな光。古い木の枠に収まったレトロにゆがんだ窓ガラス。錦鯉が泳ぐ池の上に渡された廊下。ゆったりとした焼きものの本が沢山あるラウンジ。そして、美しい庭の眺め。
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 濡縁の下の敷石の上にある下駄を引っかけて庭に出た。ねじれた松の枝が見事だった。古い石灯篭・・・造園の知識はさっぱりだが、東京の片隅で暮らしているとなかなか縁がない日本庭園。しかもこの広い庭を一人で独占しているのだから贅沢な話だ。
 バックに空の青さを従えたこの風景をさらに演出するのは、海から漂ってくる波の音であった。海には何と不思議な力があるのだろう。ここから見える訳でもないのに、心の中に風景が広がっていく。
 何時かまた縁あって唐津を訪れたなら、その時は一人でここに滞在し、この庭の片隅でゆっくりと時の糸を手繰りたい。そんな事を想った。

 庭から戻ると、「今晩のおくんち料理を見に行こうよ。多分大広間に用意されている頃だから。」 hachiyamateiさんに誘われて、見取り図が無ければ一人では行けない道中を辿って、大広間に行ってみた。

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 白いんげんと黒いんげん
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 豚の角煮(東坡煮?)
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 この料理は、なんだかよくわからない
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 関東では筑前煮、ここいらへんでは多分「がめ煮」だろう
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 お目出たい盛り合わせ。正月のおせちに例えるなら、一の重だろうか・・・
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 からしれんこん
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 これも巨大なお節料理?
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 晒しくじら
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 言うまでもないが、枝豆
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 フルーツ(なし・柿)
 
 話には聞いていたが、これ程の大皿料理が勢揃いしている様子を自分の目で見たのは初めてだった。「す、すごいね・・・」ほかに言葉が出てこなかった。圧巻である。これが今日泊まっている客達の胃袋に収まるのだ。私は、やはり双龍窟ファミリーとお昼を食べに行かなくてよかったと胸をなでおろしていた。
 この大皿たちは、年に一度おくんちの時だけ登場するそうで、見事な古伊万里や美しい蒔絵の大鉢もあった。その大皿たちの真ん中に君臨するのは、アラである。今年のは、25kgだと聞いた。
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 それを、竹の舟に載せ、鍋のつゆががかぶるように、少しづつ移動させながら煮付けていくのだそうだ。これは、気の遠くなるような作業だろう。「だから、これ煮る人達は、腱鞘炎になっちゃうんだよ。」hachiyamateiさんの解説だ。

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 だだっ広くて柱もない大広間。今宵の宴の準備は万端。その様子をプロのカメラマンが撮影していた。そして驚いたことに、このカメラマンと連れの女性は、昨日「ちんや」で、すれ違っていた。奇遇なめぐり合わせである。
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 それぞれの席に用意された善。あとは、お客達を待つばかりだ。この大広間で今宵どのような宴が繰り広げられるのか。それは後でのお楽しみ。
 
 部屋に戻って、風呂上がりの先生とhachiyamateiさんと、滝が見えるラウンジでコーヒーをいただいた。飲みながら、この洋々閣との出会いだとか、伊賀へ旅をされた時のことなど、話して下さった。私にはよだれをぬぐうしかない様な話も多々あり、貴重なひと時だった。
 そうこうしているうちに出かけていた人達も戻って来た。私は、お休みになると言う先生の邪魔にならないように、宿のパソコンでメールやFacdBookをチェックしたりしていた。ネットに繋がったパソコンがあることは、有り難いことだ。
 
 まだ宴会までに間が合ったからちょっと双龍窟のお二人の部屋を訪ねた。私の好物である、とらやの夜の梅を切ってお茶を淹れてくれた。
 この部屋は、とても風情があり粋な感じがした。恐らくは、まだ遊郭であったころの部屋なのだろう。二間続きで、手前の部屋で酒を呑み、ちょっと摘まんで、その後は布団が敷いてある奥の部屋で・・・「フフフン」私は、気付かれないように下を向いたままほくそ笑んだ。いつもテレビの時代劇で見ていたお約束のシーンを思い出したからだ。
 おっといけない、ここでニヤつく為に来たのではなかった。私はお二人を誘って、宿に常設されている「中里隆」「中里太亀」ギャラリーへ行った。そこで、ああだこうだと物色。私は旅の記念にどれを買おうか、お二人の話を聞きながら考えていた。

 さて、いよいよ宴会が始まった。私はその時、Gさんと庭を散歩していた。大広間に続く廊下に続々と浴衣姿の人達が行くのが見えた。「もう始まるようですよ。」Gさんに言われて、二人で大広間に向かった。
 仲居さんに案内され、「先生のグループはこちらです。」と言われたので、その末席に座った。すぐに別の仲居さんがすっ飛んで来て「こちらは先生がお座りになるから、あちらから座って下さい。」と言われた。私達は慌てて従ったが、普通はどう見ても上座だろうと思われる方向が下座のようであった。
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 酒樽の蓋が勢いよく割られ、酒が振舞われた。料理は仲居さん達が、小皿に取って持って来てくれる。どの席からでもぐるりと見回せる座。今宵の宴には51名のお客人が集まったと聞いた。こんなに沢山泊っているのに、館内で殆どすれ違わないのが不思議だった。
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 それぞれのグループの代表者が自己紹介をし、女将と主人のあいさつ、その間に料理、酒そして余興と昼間の御旅所神行の余韻がまた呼び覚まされる。

 酔ったのだか、食べたのだか、踊ったのだか訳が分からなかった。そんななか、豚の角煮、辛子れんこん、がめ煮を食べ損ねた。しかし、色とりどりの卵焼きや海老やかまぼこは、2回か3回盛られてきた。
 あらは半味がお客達の胃袋に入った。それを明日の宴で食べたところに、煮汁で煮た大根をひれのように並べるのだそうだ。
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 これが洋々閣のおくんちだった。なんだかよくわからなかったが、そう云うことでいいのだと思う。何より楽しめた。
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 部屋に帰ると、続きが待っていた。私は、少しお付き合いさせていただいて、皆の注意を惹かぬよう布団にもぐりこんだ。

つづく
 
 




# by oishiimogumogu | 2012-11-28 13:36 |

なんだか良く分からなくなるほど食べる旅④

 大したことではないのだが、いろいろ忙しい。また更新が遠のき、「唐津の話はまだ終わらないの?」というお言葉をいただいたりした。つまらないから、早く終わらせて次に行けと言われているのか、早く続きが読みたいと言われているのか微妙だ。
 前回で初めて動画をUPしたが、気付かず設定を非公開にしていた為、再生できないというクレームもついた。再生できないことを確認するため為YOU-TUBEからログアウトしたら、ログインIDが分からなくなってしまい、アカウントをもう一つ作ってしまった。そこにもう一度アップロードして、漸くなんとかなった。でも、疲れた。

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 今、読んでいる本。文芸春秋のHPにある書評は【林真理子の筍ご飯、村上龍のオムライス、筒井康隆のチーズと豚肉のブロシェットなど、当代人気作家のこだわりの料理を再現し、作品とともに紹介する。文学の香りのするお料理本。】他にも村松 友視や森瑤子など36名の作家が登場する。なかなかおもしろい。
 この本の料理写真を撮っているのが、佐伯義勝氏である。氏は今年1月に84歳で逝去されたが、料理写真の世界では草分け的存在。土門拳に師事し、辻留や千澄子さんとの仕事もある。私の好きな写真家だ。
※リンクのHPで佐伯氏の遺した料理写真が多数見られる。

 唐津くんち、2日目の御旅所神行は綺麗に晴れた青空の下で行われた。この祭り、実は雨が降ったら中止になってしまう。貴重な漆塗りの山を濡らすことは出来ないからだ。神事だから決まった日を動かす訳にも行かず延期はあり得ない。
 もしも悪天の為に中止になどなれば、この祭りに賭けてきた人々の想いは宙に舞う。天気の事だから誰を恨む訳にも行かず、準備してあったおくんち料理と酒で飲んだくれて憂いを晴らすしかないと云うことだそうだ。そう教えてくれたのは、hachiyamateiさんだ。私達は秋の澄んだ日差しに輝く曳山を見て嬉々としていたが、彼はまだ布団と戯れているのだろうか・・・

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左:8番山 金獅子 右:9番山 武田信玄の兜
 
 私達は、最初栄町の農協近くで御旅所神行を見物。間近で見る山は荘厳で美しかった。どの町も子供から大人まで、色とりどりの衣装を着た大勢の曳子が山を引き、掛け声をかけて練り歩く。
 昨晩の宵山とはまた雰囲気の違うおくんちを味わえ楽しかった。

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左:10番山 上杉謙信の兜 右:11番山 酒呑童子と源頼光の兜
 
 その場所で最後の山を見送って、私達は次のポイントに移動した。その道中唐津の街並みを垣間見た。商店街だから殆どの店は閉まっていたが、雰囲気はよくわかる。たまに開いている魚屋あり、中を覗くと、おくんち料理に欠かせない刺身の巨大な盛り合わせがどんと置かれている。どれも注文で造ってあるらしい。多分、それぞれの町の名士というか世話役さんの家に配達され、山を引き終えた曳子達に振舞われるのだろう。
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 中央橋を渡り、創業100年の唐津銀行の前を通り、有名な松露饅頭大原を見ながら次の見物ポイントに移動した。
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 右龍さんによると、「ここは、山が曲がって行くんだよね。それが面白いよ。」らしい。私は人々の頭の後ろからカメラを構えた。
 左手から山がやって来る。曲がり角に差し掛かった。グおぉーん。疾風が起きて山が90度に曲がり、あっという間に後ろ姿になった。凄い迫力だ。
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 昔と違って、周囲の建物が迫る狭い道路。両脇は見物客でいっぱい。そして電柱や電線がさらに山の往来を難儀にさせているが、そこを上手に回避するところがまた面白いのだ。角の右側には、街灯がありどの山もそこをすれすれに曲がる。角がある山が来て、ああぶつかる!と思ったら、さっとその角が折りたたまれた。右龍さんが云う通り、本当に見ごたえがあって面白かった。

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左:3番山 亀と浦島太郎 右:神社の神輿

 直角に曲がる山を何度も見送って、我々はおくんち料理を食べに出かけた。あ、いや結果的にそうなってしまったのである。向かった先は、胃腸薬で有名な三光丸の家。
 「三光丸と開花堂には、挨拶に行きたい。」そう仰っていた先生であるが、どうも今朝は体調がすぐれず出かけられなかった。その名代で双龍窟のお二人と、先生の息子であるGさんが行くと言うので、私達もくっ付いて行った。最初は、外で待っているつもりだったのに「どうぞどうぞ」と招かれ、図々しく2階に上がって、広いリビング一杯に並べられた、おくんち料理を見た。そして、「どうぞどうぞ」というご主人のお言葉に甘えて、さらに図々しく箸を伸ばした。ビールも呑んだ。
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 この家も町の名士だから、もうあと数時間でこのリビングも曳子達で一杯になるに違いない。その様子が心に浮かんだ。それだからおくんちはいいのだ。そうも思った。
 ご主人は、祭りの装束、内襦袢を着ていた。絹のはっぴでとてもきれいだったが、裏側を見てさらに仰天した。美しい富士山が染め上げられていた。見えないところにこれほどの装飾を施してあるところが粋だった。
 いろいろ食べてみたい料理もあったが、長居は無用だ。我々は三光丸を分けていただき、次の開花堂は向かった。
 
 開花堂に行く途中で、御旅所神行クライマックスの曳き込みを見た。一順山が土の柔らかいグランドに入るのだが、車輪がスタックするのでなかなか進まないし傾いたりして、ここも曳子の腕の見せ所だ。しかし残念なことに、人だかりの後ろからでは肝心の車輪が全然見えない。なんとか雰囲気はつかみ取ったが、写真も撮れなかった。

 一行は、開花堂に向かう。ここでやっと、先生とhachiyamateiさんと合流できた。創業明治31年の和菓子の老舗だ。古い風情がある家の座敷に、先ほどの三光丸の家と同じく、所狭しとおくんち料理が並べてある。またまたそこへ図々しく上がり込み、おくんち料理の一部をいただく。「これ、うまいよ」勝手しったるhachiyamateiさんが、卵サンドを勧めてくれた。大皿にラップに綺麗に包まれた一口サイズの卵サンドが山と積まれている。しかし、彼はまだ半分あちらの世界にいるらしく、そのラップが剥けないでいる。私はは一つ頂いて、美味しくてもうひとつ食べてしまった。
 ここで、双龍窟ファミリーは、お昼を食べに行くということで、あまから編集長夫妻もそちらに出かけた。流石にこの後に控えた洋々閣のおくんち料理を思うと、手出し無用な気がして、私は先生とHachiyamateiさんといっしょに宿に戻ることにした。
 暇する間際、見ず知らずではあるが、これも何かの縁と思って、仏壇に線香をあげた。 

※この開花堂のお菓子「さよ姫」は、洋々閣のお茶菓子にも出ていたが、和三盆で作った非常におしいい落雁だ。あまりに美味しいので、知人にお土産で送り、自分用に3箱買った。

つづく

# by oishiimogumogu | 2012-11-25 11:09 |

なんだか良く分からなくなるほど食べる旅③(動画つき)

 また、少し更新の間が空いてしまった。週末に外房へ再び行って来たからだ。
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 まだ緑の芝生に囲まれたログハウス。海からの風。そして、手作りの料理。シャンパンとワイン(5人で13本空けた)。天気がイマイチではあったものの・・・って云うか、酔っているとそんな事はどうでもよかった。とにかく、食べ続け呑み続けの二日間。今回は、“ウコンの力”ではなく、唐津で買ってきた“三光丸”のお陰で、胃腸は無事にこの事態を乗り切ってくれた。
 そんな訳で、次から次へと続いて行く、Never ending storyのように・・・(気が遠くなるような更新だ)

 では唐津の旅の続きから。
 ゴージャスな夕食もそこそこ。後ろ髪をひかれる思いで、私は宵山見物に出かけた。夜の20時頃だ。その頃、この旅館に泊まっているお客さん達も夕食を終えて、それぞれ出かけて行く。松浦川の河口に掛る枚鶴橋を渡り、唐津城の堀に掛る城内橋を渡り、札の辻橋を渡って、見学ポイントにやって来た。
 縁日の屋台が立ち並び大勢の人が集まっている。「昼間は、ひっそり静まり返っていて、人も殆ど歩いていないのに、宵山に来ると何処からこんなに湧いてくるんだって云うほど、大勢集まって来るんだよ。」昨年のうちから、ずっとこの祭りに私を連れて来たいと誘ってくれていたhschiyamateiさんから、その様子は何度も訊いていた。
 私達が陣取った場所は、山が通るルートで何度か折り返しがある場所だ。従って、行っては戻って来る山を2~3回見ることが出来る。商店街の店は閉まっているが、2階には何処も沢山の見物客がいた。

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左:4番山 義経の兜(呉服町) 右:5番山 鯛(魚町)

 「ほら来るよ、あっちから。」左龍さんが云う方を見ると、源義経の兜がやって来る。「あ、あれが山かぁ・・・」そう思うと同時に自分の意志とは全く関係がないところで、いきなり心が躍り出す。結局私はお祭り好きなのだ。そう悟った。
 お囃子と太鼓、そして引子達の「えんやっ、えんやー」という掛け声とともに漆の芸術品とも言える山が轟音を立てて通り過ぎて行く。その圧倒的な姿、観客の歓声で祭りは一気に盛り上がる。そしてまた次の山が来る・・・

 現存する山は14機。14の町がそれぞれ運営している。一番山の獅子は文政2年(1819)だというから200年近く前に造られたことになる。詳しい製法は分からないが、きっと沢山の職人たちが心血を注いだに違いない。そしてまた、楽しい作業であったのだろう・・・そんな事を想った。
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 目の前を壮麗に通り過ぎて行く山を見ていると、いつしか「えいやぁ、えいやー」と、叫んでいる。叫ばずにはいられないのだ。そうやって、祭りは人の心を燃やす。先祖代々の血も、はるばる祭りに逢いに来るも想いも、一気に混ざり合いエネルギーなって山を動かしているようだった。それがこの祭りのスピリットなのかも知れない。
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 父親に肩車された小さな男の子。2歳ぐらいだろうか。その子が「あっ、あれが僕が一番好きなヤマだ!お父さん、僕いつから引けるの?」と云った。そんな歳からもう近い将来山を引くこを夢見ているようだ。

 この日、ある山が私たち一行の前を通りかかる時、引子の一人の踵が道路の凹凸に引っ掛かり、ちょっともつれて尻もちをついた。運悪く、その投げ出された足の上に山の車輪が乗ってしまった。大変な事故である。それで、暫く祭りは中断した。事もあろうに、自分の目の前でこんなアクシデントが起こるとは、思いもよらなかった。一部始終を目撃してしまって、ちょっとショックだった。
 怪我をした人は本当に気の毒だった。唐津に生まれ育って、この祭りに賭ける想いは並大抵ではあるまい。
 怪我人が運ばれて祭りは再開したが、今も名も知らぬその人の回復を祈らずにはいられない。

 祭りは、翌日も続く。11月3日は御旅所神行だ。

 その朝の事、同室のメンバーは三々五々起きてきたり、寝ていたり、風呂に行ったりで、今日の曳山見物をどうするつもりなのかさっぱりだ。
 私は左龍さんからのメールで、「8時30分になったら、曳山を見に行くから合流しましょう」と連絡をもらったてはいたが、こちらのメンバーを仕切る人が誰もいない。朝食は8時からと、前日に申告したはずなのに、皆そんなことはお構いなしだ。一人勝手に食べに行っていいものかどうか、宿の掟もどうなっているのか分からず途方に暮れる。
 どうしたものかと廊下をウロウロしていたら、洋々閣の主人と何度もすれ違い気まずい思いをした。諦めて部屋に戻ろうとした時、あまから手帳編集長のご主人も食事処の前で、あたりの様子を見まわしている。

 結局、私達は声を掛け合って、中に入った。聞くところによると、細君は風呂らしい。
 折角朝餉に同席させてもらったのに、元来の人見知り癖で心はガードされ、なんとなくバツが悪い想いをする。思えば、昨日の夕方初めて顔を合わせて、まだまともに話もしていないし、お互いに唐津くんちは初めてで、何の話題も思いつかないのだ。部屋のメンバー全員での食事ならこんなこともなかろうにと、肩が落ちる。きっと彼も同じ気持ちだろう。
 それでも、宿の朝食への興味が勝って、食卓に向き合って座っていた。
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 朝食は、たくさん小鉢がついた粥だった。粥の薬味も3種(昆布の佃煮、ちりめんじゃこ、梅干し)ほどあり、それを少しづつ粥と一緒に味わう。流石に、この薬味はどれも高級で上品な味がした。味噌汁も、豆腐も、漬けものも、サラダもとても美味しかった。
 実は、私が粥を食べたのは、これで2度目である。ずっと意識的に避けてきた。粥というのは米のうま味が全部湯に溶けだして、残ったのはヘンな歯ごたえの米粒だけだ。それが、私には許せない。だから中華粥だって食べない。茶漬けも雑炊もおじやも大好きだが、粥だけはご勘弁だ。しかしながら、こういう立場で代わりを出してほしいと頼む訳にもいかない。昆布もじゃこも梅干しも白飯で食べたらどんなに旨かろうと思うと、余計に辛い。
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 話は少し戻るが、祭りの夜は飲み明かす。宵山から戻った私達の部屋でも、先生を囲んでミニ宴会が始まった。たみえさんが用意してくれた夜食をつまみながら、宿の若旦那が先生の為に用意したウイスキーで乾杯。
 「これは、何時も思うけど、ヨードチンキみたいだよ。」先生はそう仰る。確かに強烈な香りはあるが、美味しい酒であった。それが、グラスに注がれ氷がカランと透明な音をたてる。ちびちび飲んでいるのだが、減って来ると知らぬ間に、グラスが琥珀色に満たされている。
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 夜は瞬く間に更けて行き、楽しげに話していた人達もひとり、またひとりと布団にのみ込まれていく。

 気がつけば、私は完全に出来上がったhachiyamateiさんに絡まれていた。しょうもない酔っ払いのなれの果てだ。私も結構酔っていた。その酔ったおつむで、受け答えの言葉を選んで、どうにか対応していたものの、どうせ明日には記憶にないだろうから、適当に受け流して寝てしまえと考えた。
 「う~ん。そうだよね~。さぁ、もう寝ないと明日早いから寝るよ~。分かったぁ~?」そう云って振り向くと、彼はもう布団に埋まって沈没していた。窓からの月明かりに照らされたあどけない寝顔を見て、結局私は貴重な睡眠時間を彼に貪られただけだったことに気付く。悔しいが、後の祭りである。とにかく、歯磨きだけして横になった。時計は、5時を回っていた。

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唐津神社へ向かう参道の屋台。何で東京ケーキなんだろう? 黒山の人だかりでなかなか前に進まない。ようやく神社に辿りつき、皆でさい銭を撒いて参拝した。

 そういう、一夜を過ごしたお客の胃に、出来るだけ負担がかからないようにと、朝粥は洋々閣の配慮なのだ。でも、後から白飯もあると聞き、明日はそっちにしようと考えていたのに、すっかり忘れて翌朝も粥を出されてしまった。情けない。
 
 もう、食べ終わるかという頃、編集長も合流。Gさんもやって来て、朝食が再び繰り返される。今日の予定を確認するもだれも分からず。この時点で、既に左龍さんご指定の時間に間に合わず、先に行って欲しいとメールする。
 そうこうしているうちに、hachyamateiさんが、起きて朝食のテーブルにやって来る。二日酔いで亡霊のような彼は、指先でレタスを摘まんでいた。

 そんな彼と、体調がすぐれない先生を宿に残し、我々も出かけることにしたが、何処にどうどう行けばいいのやら・・・。ところが、先に行ったとばかり思っていた双龍窟別働隊と玄関先でかち合った。食後のコーヒーを優雅に飲んで待っていてくれたらしい。
 あちらはまとまって行動する能力がある。しかし、こちらはどうもそういうことがうまくないようで、私としてもその事実を受け入れるしかなそうだ。なにせ、体調がすぐれない先生の次におくんち経験があるhachiyamatei氏は、もう皆を仕切る気力がない。少なくとも午前中は使い物になりそうになかった。
 
 そんな訳だから、玄関先で、別働隊の方々と一緒になって、こちらのグループは皆ほっと胸をなでおろした。一行8名は漸く、曳山を見に歩き出した。

つづく

# by oishiimogumogu | 2012-11-20 20:20 |

なんだか良く分からなくなるほど食べる旅②

 もう終わってしまったが、先週まで開催されていた『東京デザイナーズウィーク2012』。その初日に行って来た。各ブースを廻って思ったのは、「頭脳って面白いな」ということだった。時間があまりなかったので、ひとつひとつブースを丁寧に見ることは出来なかったけど、最先端のデザインに触れて来るのも必要だとつくづく思う。このイベントのいいところは、デザインとオーディエンス(ユーザー)の間にデザイナーという人の存在があることだ。
 さてそのメインコンテンツ会場の真ん中で、J-waveの公開生収録が行われていた。
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       左:音楽プロデューサー&ベーシスト 亀田誠治 右:番組ナビ DJのSascha(サッシャ)
 
 この番組に、なんと雅-MIYAVIが、生出演。11/14リリースのアルバムのプロモーションも兼ねていたけど、ギター持ち込んで1曲披露。3mも離れていないところで、それを見れたので大感激。曲、凄過ぎ。スタイル、カッコ良過ぎ。顔、イケメン過ぎの現在私のスーパーヒーロー(ミュージシャン編で)なのだ。本当は、写真に収めたかったが、撮影・録音禁止のアナウンスがあり撮れなかった。

 さて、旅は始まったばかり。朝食は抜いたものの、昼からいきなりすき焼きで、自分の意志とは関係なく胃袋は満たされきってしまった。考えても仕方がない。なるようになれだ・・・そう開き直って、次の目的地、唐津へ向かう車の窓から外を眺めていた。
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 福岡ドーム、シーサイドももちなどサラリーマン時代に何度か訪れた景色が風と共に飛び去って行く。こういうとき少しは、当時を回想してセンチな気分になったりすのだろうが、とてもそんな気分に浸れない。腹いっぱいで苦しいのだ。

 後部座席で腹をさすっている間に、今日から2日間お世話になる宿『洋々閣』に到着。車から降りようとした時、眼の前に見たことがある人が、隣に止まった車から降りて来た。こちらは、別働隊の双龍窟のお二人とその兄上、玄龍さんご夫妻だ。それにしても全く同じ時間に到着とは奇遇だ。
 
 さて、この日から2日間お世話になった『洋々閣』は、雑誌などの「日本の名宿」特集では、必ずと言っていいほど登場(その割にHPがイマイチかなぁ・・・)する。玄関を入るところからして驚いてしまうが、格式も風格の十分過ぎるくらいだ。敷地も広大で、庭園も素晴らしい・・・hachiyamateiさんが色々説明してくれる。
 チェックインの後、錦鯉のいる池の上に掛る渡り廊下を渡って、二部屋続きのVIPルーム“飛龍”に案内された。広い洗面所と檜の風呂場もあり、設えも落ち着いていてとても立派な部屋だ。何畳あるのだろう?おそらく会わせて30畳くらいだろうか。ここに我々4名と、後から合流する「あまから手帳」の編集長ご夫妻の6名が、この部屋に泊まるが、それでも十分な広さだ。

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老舗旅館でありながら、唐津の中心から少し外れた住宅街に、洋々閣はある。先生に伺ったところによると、この辺一帯は、色街であり、この宿はまさに遊郭であったとのこと。なるほど、こういう格子の感じは当時のままということか。

 先生は、お風呂に入って夕食まで休むということで、布団を敷いてもらい、残りの40代は、腹ごなしの散歩にでかけることにした。と、言ってもGさんは、既に姿を消していたので、hachiyamateiさんと私は、「あの道はいいよ。」と、先生が教えてくれた“唐津城の石垣の上の道”へ向かう。
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 松浦川に掛る橋を渡り、石垣に通じる道を見つけ、松林の間の小径を歩く。そこはもう石垣の上で、見下ろすとすぐ海だ。私達は、城を一周して元の道に戻った。
 途中、唐津城へ上がるエレベーターを見つけた、どうしようかと迷ったが、城は一部工事中だし、「けっ、金取るのかよ。」の一言で止めた。片道100円だと言うのにケチくさいなと思ったが、私も一向に減らない腹を抱えて、少々億劫だったから良しとした。
 ちょうどそのころ、Gさんは城の上にいたという。ふらりと姿を消し単独でさ迷い歩く彼は、カメラを通して何を捉えているのかちょっと興味を引かれる。
 
 たらたらと歩いて戻る途中で漸く、ああ唐津にいるんだと実感が湧いてきた。ビジネスで出かけていた頃は、考えもしなかったが、飛行機でひとっ飛びというのは便利で速い反面、旅の情緒が薄れる気がする。しかし、この城が今のような観光資源ではなく、城として君臨していた頃は、飛行機も新幹線も鉄道も車も高速道路もなかった訳で、その頃の旅というのは、一体どんなものだったのだろうかと、つい思いを馳せてしまう。

 宿に戻った私達は、ひと風呂浴びて夕食に備える。部屋のメンバーもみんな揃った。ちらりと見たのだが、私達の食事処は準備が整い、大きな土鍋が2つも据えてあった。
 時間が来た。休んでいた先生をたみえさん(洋々閣のスーパースタッフ)が起こしに来る。「せんせ~いっ!おきてくださーいっ!」。静かに耳元で囁くのかと思いきや、大きな声でがっつり揺り動かされていた。私も編集長夫妻もこれには驚いたが、たみえさんはちゃんと役目を果たしていた。

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夜景モードで庭を写したらこんな風になった。
 
 広い庭に面した食事処で、双龍窟ファミリーを含めた総勢10名での大宴会だ。
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 唐津くんち初日の洋々閣の御馳走はあらずくし。と、いうところで思い出したのだが、今回唐津に来たのは、唐津くんちという祭りを見る為であった。唐津くんちは唐津神社の秋祭りで、何といっても漆の一閑張りという製法で政策された曳山(車輪付きの神輿)が、子供から大人までの大勢の曳子に引かれて、からつの城下町を練り歩く祭りだ。その宵曳山(11月2日)と御旅所幸神(11月3日)を唐津の名宿、洋々閣に泊って見物するというのが、今回の旅の趣旨だった。
 佐藤隆介先生は、この祭りには30年以上も通っていて、祭りの事も洋々閣のこともご自身の著書に何度も書かれている。だから洋々閣のお客の中でも重鎮中の重鎮だ。こういう日には有名人・著名人それに長年のおくんちファンの人々が、この旅館には押し寄せて、一見さんがおいそれと割りこめる状態ではない。そんな訳だから、先生御一行様の末席に加えていただけたのは大変ラッキーなことである。。

 この日は、そのおくんち料理の第一弾、あらづくしで、あら鍋とあらの薄造り。鍋は言うまでもないが、お造りの方は、河豚と同じようにあさつきを巻いてもみじおろしまたは柚子胡椒をちょいとのっけて、お手塩皿の醤油をちょっとつけて食べる。また、これを、鍋でしゃぶしゃぶにして食べるのも美味だ。
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肝も皮もあった。何しろ、この日のあらは、大相撲九州場所とぶつかることもあり、ただでさえ珍重される魚なのに、おくんちははあらと決まっているので、各所争奪戦だろう。当然値段も跳ね上がる。その中でも先生の為に極上が用意されているのだ。仲居のたみえさんは、どんどん取り分けてくれるのだが、まだすきやきが幅を利かせているし、宵山に出かけるから時間もあまりない。
 右往左往していると、そこに「こんなのないよ!」と、云うほど旨そうな蒸しもづく蟹が出てくる。しかも雌ばかり。
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バリバリと割って食べるが、丹念にこそげて食べるには、時間がない。18時30分から始まった宴会は、20時には終わらせて、出かけなければならないからだ。私はもう宵山なんかいいから、この滅多にお目にかかれない料理をもう少し堪能したいと思った。それが本音だ。
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酒だっていい酒だ。それを先生が洋々閣に預けてある坪島土平作の朝鮮唐津のぐい呑みで呑むのだからなお旨い。だからなおのこともう少し時間をかけて変化する酒を心に刻みたい。
 なのに、何が何だかわからないうちに、時は無情に過ぎ、まだたくさん残っている卓を去らねばならないのは私には辛いことであった。

つづく 

# by oishiimogumogu | 2012-11-14 09:50 |

なんだか良く分からなくなるほど食べる旅①

 本日、深夜にやっと、前回の旅の記録を書き終えた。連載ものの最後を書き終えないうちに、次の旅に出かけ、風邪をもらって帰って来た。体調最悪。ほぼ一週間、仕事で言うことを訊かないない身体に鞭打って、一度外出(この時とばかり鰻を食べた)したのを除き、籠りきりだった。
 とても料理どころではない。食欲もないので、冷蔵庫の中の生ハムだとか、ローストビーフだとか、チーズだとかを少し摘まむ程度で過ごしていた。量にしたら、恐らく普段の1/10程しか食べていない。それなのに、以前の体重と変わらないのは、この旅で食べ過ぎてしまったせいなのだ。でもそれは、私だけでは決してないということを明記しておく。
 こんなことを書きながら思う。さっさと終わらせないと、来週末には1泊で千葉のイル・マーレで、ビンテージワインを開ける会がある。これもまた盛りだくさんなことになるだろう。本当にさっさと終わらせなければ溜まっていく一方だ。
※因みに、今日・明日の夕方から、UVERworldの2daysライブ。国立競技場第一体育館。病み上がりの身体としてはかなりハードですが参戦してきます。

 毎度のことだが前日に出来なかったパッキングを4時に起きて済ませ、バタバタとシャワーを浴び、そそくさと着替えて、前日に淹れてあったコーヒーをレンジで温め、それだけ飲んで家を出た。
 飛行機の時間は10:15。30分くらい前に羽田に着くと、今回の旅の首領である作家の佐藤隆介先生と愚息のhachiyamateiさんと弟のGさんは、既に到着して私を待っていた。それにしても、作務衣にジーンズ、足は雪駄。角刈りの頭にレイバンのサングラス姿の先生は、知らない人が見たら怖くて引いてしまうだろう。本当は、ここに写真付きで掲載したいくらいだが、私も自分の命は惜しい。「先生、ブログに載せたいので、写真を撮らせていただいてもいいでしょうか?」などとは、口が裂けても言えやしない。

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左:羽田空港13番ゲートより出発。 右:福岡空港に到着。

 時は11月2日。羽田空港は快晴。一同は定刻通りの飛行機で福岡空港へと飛び立った。そして、定刻通り11:45に福岡空港へ着いた。さて次は、レンタカーをGさんに運転してもらい、博多の中州にある“ちんや”へ向かう。
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 先代からの付き合いである先生を人美(ひとみ)女将は、首を長くして待っていた。二階の座敷に通されると、まずサラダ。人参ドレッシングがおいしい。
 次に、どんっ。「はい。ローストビーフ」
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 フレンチレストランで、上品にグレービーソースをつけて食べるのも悪くはないが、こういう豪快なのは心まで賑やかにしてくれる。人美女将が、先生に食べさせたいと最上級の肉に丹精込めてくれている。この肉にちんや特製のソースが最高に合う。肉をどうやったらいちばん美味しく食べさせることができるか、この店は知っているのだ。
 
 ビールからワインへ。ソムリエの西山氏が先生の為にチョイスしたのは“Chateau Falfas”。バイオダイナミクス、つまり有機農法の葡萄で作ったボルドーワインだ。ちょっと冷えていたが、素直な感じのミネラリティな香り。少し時間を置くとそこにフラワーフレバーが混在して、柔らかい感じの味わいだ。もう少し時間をおいて常温になったら、ミルキーに舌に纏わりつくのだろうか・・・そんなことを彷彿させる。早い話が、私の好みのワインだった。
 
 さて、お待ちかねのすきやきだ。大皿に唸るほど盛られたお肉達。デパートの高級肉売り場でさえなぎ倒してしまいそうな素晴らしい肉の登場だ。
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 酔っている場合ではない。女将が年季の入った鉄鍋を火にかけ、こんな凄い肉で作ってくれるすきやきに期待で胸がはちきれそうだ。
 こういう繊細な素材のときの鍋料理は、傍らで作ってもらえるのが何より有り難い。素人が鍋を掻き回しても、折角の食べごろを逃してしまう恐れがあるからだ。
 まず、煙が出るまで熱くなった鍋にラードを投入。勢いよく跳ね上がる脂を封じ込めるように、肉をかぶせる。
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 肉に少し熱が入ったところで焦げないように肉の上に上白糖を振りかける。それなのに、甘過ぎることがない。私はこの20年、上白糖を使っていないがこのすきやきの時だけは、これでないと駄目なんだろうなという気がする。
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 そのまま少しおいて、鍋底に水分が上がってきたら、さっと醤油を振り、かき混ぜる。割り下は使わない。博多弁の女将は実に手際がいい。そういうことも、間違いなく美味しさとしてプラスされていくのだ。

 九州は、醤油が甘い。まあ、甘いと言っても砂糖を加えた甘さではないが、私のように東京の辛い醤油で育った人間には軽い衝撃だ。鉢山亭の皆さんをはじめ私の周囲では、あまり評判が良くない。
 私も初めて、この醤油に遭遇した時は仰天した。しかし、よくよく味わってみると、決していやらしい甘さではなく、コクもうま味も非常にレベルが高いと思った。それが、今愛用している肥後菊醤油だが、海苔でご飯を食べる時や平目などの白身でも脂が乗った刺身の時は良く使う。醤油もたまり醤油や減塩醤油、出汁醤油など星の数ほどあるのだから、シュチュエーションによって、使い分ければいいのだと私は思う。
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 肉に軽く味が付いたところで、「お肉、もういいからどんどん召し上がって。」と、女将のお許しが出る。私も箸を伸ばして、大きな肉に卵を絡めて口に放り込む。第一段階は、まだ味が染みきる前で、牛肉の味そのものに近い。口の中で甘くとろけた牛肉の香りが鼻孔から抜けて行く。「なんですかぁ?!この味は・・・」あまりに旨いものを食べた時、この言葉が決まって降りて来る。旨い!とにかく旨いのだ。そして、以外なことにさっぱりとしていて、いくらでも入ってしまう。
 ここで、女将からいい話を聞く。実は、他のお客さんにはあまりしないのだけど、この肉は少し焦げ目がついたところも美味しいの。ちょっと食べてみんしゃい。」すきやきは、肉を焦がさないようにという固定概念があるが、熱々の鉄鍋で少し焦げ目がついたところは、香ばしく本当に旨い。
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 豆腐としらたき、そして野菜は、おなじみの葱、白菜と春菊。その他に博多ならではなのだろうか。もやし、椎茸やえのき茸なども入る。最後には玉葱もだ。そういう野菜や豆腐などにも、ぐつぐつと肉の風味満載の甘辛のつゆが染みて行く。私は卵をお代わりして、こちらの具もいただいた。
 
 ふと気付くと、部屋の入口付近に音もなくさっきと同じ肉の皿がもう一枚控えていた。「えっ!!うそっ?!」そう思ったが、嘘ではなかった。何でもない顔をして、女将が肉を煮始める。
 それにしても、これだけ刺しが入っている肉なのに、全く胃にもたれることがない。何故か、それは肉の質に他ならない。私の見立てでは、A5のさらに上、A5++といったところだが、このくらいの超特上の肉になると脂でさえ胃に優しいのだ。
 お代わりの肉も、みんな何だかんだ言いながらもするすると平らげていしまった。
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 〆のご飯をどうするか迷いに迷ったが、すきやきのつゆが目の前の鍋にふんだんに残っている。このまま飛行機に乗って帰るのであれば、鍋に残ったくったりした野菜ごとタッパに詰めて持ち帰りたいところだ。その美味しいつゆを見のがす訳にもゆかず、茶碗に半分だけご飯をもらい、スプーンで汁をかけ、したらきと葱、それに椎茸をトッピング。上からとんすいにまだ残っていた肉の風味満載の卵をかけて食べた。ああ、旨い・・・
 そんな私を見て、先生は笑っておられた。


 東京での話だが、すきやきの店はいろいろ知っているつもりだったし、いい肉を頂いたときなど、自分でやって食べることもある。味だってそこそこと思っていた。だが、この時をもってここで食べたすきやきが一番ということになった。人生、ゴールはまだ見えないようだ。

 最初から、こんなことでいいのだろうか?何度も同じ疑問が、アタマを過る。だって、これは昼飯であって、天下に名だたる本日の宿のディナーが、あっさりとお茶漬けという訳ではないのだから・・・

 ちんやでは、精肉店も併設していて、肉を買うことができる。この日食べた肉はあくまでVIP用だから、いつでも用意してもらえる訳ではないが、訊いてみると東京のデパートで買ったらいくらするんだろうというお肉が、2/3から半額くらいである。
 私の実家は、まともにお節料理もこしらえない家だが、どういうわけか大晦日にすきやきを食べる習慣がある。その肉を毎年決まって浅草のちんやで買ってくるのだ。そして両親もそれが一番と思って疑わない。
 でも、今年の暮れからは迷わず、博多のちんやにお願いすることにした。勿論、先生のお口添えがあったればこそだが、美味しいお肉が届くと思う。大晦日が待ち遠しい。

つづく
# by oishiimogumogu | 2012-11-10 12:45 |


酒・食・器そして旅のたわごと・・・


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